はるきげにあ的煩悩生活
鞠絵ちゃん、誕生日おめでとう!
北の国から with 鞠絵 番外編 義経北行伝説
「鞠絵ちゃん,足元気をつけてね。滑りやすくなってるから」
「はい,ありがとうございます」
「今いるのが旧函館区公会堂だから,えーと,目的地のハリストス教会まで歩いてすぐかな」
「はい。結構雪が残っていますね」
「凍ってアイスバーンになってるよ。雪に慣れていないからきついなあ」
「兄上様も足元に気をつけてくださいね。よそ見をしていたら滑りますよ」
「うん,あれ?こんなところに・・・わっ!」
「兄上様!大丈夫ですか?」
「ごめんごめん,大丈夫大丈夫。ちょっと滑っただけだから。こんなところに神社があるんだと気になってさ・・・,え!」




「兄上様,どうかされました?」
「・・・この神社だけど」
「『船魂神社(ふなだまじんじゃ)』ですか?変わった名前の神社ですね」
「名前もだけどさ。ここ読んでみて」
「はい。・・・え!」




「源義経は衣川で・・・」
「僕もそう学校で習ったよ。でも,この神社は義経北行伝説と関連があるようだね」
「義経は死なずに北に逃れたという説ですね。モンゴルに渡ってジンギスカンになったという話も聞いたことがあります」
「そんなトンデモ本も読んでるの?」
「もう,笑わないでください。面白そうでしたので・・・」
「いやいや,よく勉強しているなって思ってさ。でも,義経が衣川で死んでなくて,モンゴルに渡ってジンギスカンになったっていう話は,明治時代になってからだよ」
「そうなんですか?」
「うん。小谷部全一郎という人が『成吉思汗ハ源義経也』という本を書いて,これがベストセラーになったんだ。ちょうど日本が大陸に進出しようとしていた頃だったから,時流に乗ったんだな」
「そうなんですか・・・でもモンゴルまでとはいわなくても,北海道まで行ったという話はもっと前からあったんですか?」
「江戸時代からあったようだね。当時は北海道のことを蝦夷地と呼んでたけど,義経は北に逃れてアイヌの王になった,という話があったらしいよ」
「本当はどうなんでしょうか?」
「可能性はないとはいえないけどね。でも,もし義経がアイヌの王になっていたとしたら,何らかの記録があってもいいと思うよ」
「アイヌの人たちは文字を持たなかったと聞いたことがありますが?」
「口伝らしいね。というか口伝だったらなおのこと,『我らの王は外より来た』という重大かつ衝撃的な事件は記録されていると思うけどね」
「そうかもしれませんね・・・じゃあ,実際のところはどうなんでしょう?本当に義経は北海道に渡ったんでしょうか?」
「うーん,難しいところだね。ひょっとしたら義経は衣川で死んでなくて,北海道に渡ったかもしれない。でも,政治的・歴史的には衣川で死んだということが言えるね。あくまでも歴史は勝者が書くものだからさ。鎌倉幕府にしてみたら『源義経は奥州衣川で死んだ』以外の公式見解はないよ。義経だって北海道に渡ったのはいいけど,慣れない環境でそのままのたれ死にしたかもしれないし」
「そうですね・・・でも義経が生きていた可能性はないのでしょうか?」
「うーん。岩手県を中心にして,東北各地に義経北行伝説が残っているからね。脱出しようと思えばできていた可能性は高いと思うよ。もちろん後世の『判官贔屓』を計算に入れる必要があるけどね。それに青森県には『龍馬山義経寺』っていうすごい名前のお寺があって,そこにも義経が北海道に渡ったっていう話があるらしいし」
「青森にそんなお寺があるのですか・・・行ってみたいです」
「うん,僕も行ってみたい・・・けど行くのは夏にしようね。冬は寒すぎるよ」
「ふふ,そうですね。兄上様,続きをお願いします」
「あ,はいはい。そもそも奥州は,藤原氏のホームだからね。義経の影武者を用意することなんか簡単だったと思うよ。それに,義経を庇護した藤原秀衡がかなり用意周到な性格だったから,平泉と鎌倉が対立した場合の義経の逃走ルートも当然考えていたんじゃないかな。奥州藤原氏はアイヌと交易をしていたから,北海道の地理もある程度把握していただろうし。ちょっと考えても,これだけ義経側に有利な条件があるね」
「じゃあ,義経が生きていた可能性があるんですね。ちょっと嬉しいです。そういえば,鎌倉で頼朝が影武者を見て,『これは義経じゃない!』と言わなかったんでしょうか?」
「それなんだけど,自害した義経の首は酒に漬けられて2ヶ月かかって鎌倉に運ばれて,その後首実検が行われたんだよね」
「平泉から鎌倉まで2ヶ月もかかるのですか?」
「いくら昔だからといっても,そんなにかからないよ。だから,なぜそんなに時間がかかったのか,またそれだけ時間がかかっても,なぜ鎌倉幕府が何も言わなかったのかというのは謎だね。それに」
「それに?」
「実験してみないとはっきりしたことは言えないけど,人間の首を2ヶ月も酒に漬けていたら,いわば人間梅酒みたいな状況だよね。仮に毎日酒を取り替えたとしても,腐敗して誰が誰だか分からないんじゃないかな?」
「え,実験って・・・・兄上様・・・」
「あ~,実際に人間を使う訳じゃないよ」
「そ,そうですよね。じゃあ,頼朝にしてみたら『弟が死んだ』ことを確認するイベントが必要だったのであって,それが本当に弟だったかどうかはそれほど重要ではなかったということですか?」
「そうだね。首が義経本人じゃないというリスクも許容範囲内ということかな。それに頼朝にとって,義経追討というのはあくまでも奥州藤原氏を滅ぼすためのきっかけであって,義経追討自体が最終目的じゃなかったし」
「?」
「奥州藤原氏を滅ぼすことが主目的だったんだよ。平氏が壇ノ浦に滅んで,単独で鎌倉に対抗できる唯一の勢力になったからね。そのままにしておくには危険すぎるよ。遅かれ早かれ戦争になってたね。鎌倉の目的はあくまでも武家による独自政権の確立だったから」
「そうなんですか?」
「義経追討のために全国に守護・地頭をおく許可をとったけど,義経が死んでからもそのままだったのがその証拠だね。本当に追討のためだけだったら,『義経が死んだ』というイベントの後,すぐに廃止してもいいんじゃないかな?」
「それはそうですね」
「つまり,全国に守護と地頭を置くことが主目的で,その理由がたまたま義経の追討だったということだよ。仮に鎌倉に来た時に義経を粛正できたとしても,別の理由で守護・地頭を置いたろうね」
「別の理由?」
「鎌倉に刃向かう平家の残党とかを取り締まるため,とかさ」
「・・・じゃあ,義経は兄の頼朝にいいように使われて,利用価値が無くなったら消されたということですか。なんか悲しいですね」
「頼朝もだよ」
「?」
「頼朝も死んだときの様子は怪しいからね」
「そうなんですか?」
「病死ってことになってるけどね。『吾妻鏡』にその頃の記述がないんだよ」
「それは,時間がたったせいで散逸したんでしょうか?それとも誰かが故意に・・・」
「分からないね。どっちの可能性もあるし,両方かもしれない」
「・・・誰がそんなことを・・・北条氏ですか?」
「北条氏だけじゃないだろうね。その当時の有力御家人の総意,といったところじゃないかな」
「歴史って,そんな暗い面ばかりですね・・・」
「そうでもないよ」
「え?」
「そういうのも確かに『歴史』の一側面だけど」
「一側面ですか?」
「うん。僕たちのような一般庶民の生活も,歴史の立派な一部だからさ。政治史だけが歴史じゃないよ」
「歴史を調べるのは奥が深い・・・ということですか?」
「うん。ま,その話はまた次の機会に,だね。今回話題になったことでもあるし,今度は春の鎌倉にでも行こうか?観光を兼ねて,鎌倉幕府の歴史を確認するということで。いいレストランを何軒か知ってるんだ。美味しいワインもあったよ」
「もう兄上様ったら。私はまだ未成年ですよ」
「あ,そうだったね。失礼。美味しいコーヒーが飲める喫茶店もあったよ。一緒に行こうか」
「はい!」


・・・ということで,たまたま函館で見つけた神社をネタに,発作的に書いてみました。

へっぽこ歴史探偵「はるきげにあ」と有能かつ美人助手「鞠絵ちゃん」の歴史談義

いや~,普段書き慣れていない文章は難しいですね(笑)
スポンサーサイト




コメント
▼この記事へのコメント<(あれば表示)
質問なのですが、はるきげにあさんって、歴史に詳しい方なんですか?

まさかちょっとした講義はできるくらい……なのかも。
2008/03/09(日) 22:24:38 | URL | bySoic Hiro (#-) [ 編集]
義経北行伝説、面白く読みました。
私は、秋田県大館市に住んでいる者ですが、義経伝説にまつわるものとして、正覚寺というお寺さんに義経観音という名の観音様がいらっしゃいます。義経がこの地まで背負って来たというのです。平泉を追われて来てからの事なのかは、定かではありません。
 もう一つ、随行者の弁慶が背負ってきた
という、達子(たっこ)の森という名の山があります。同じように背負ってきて、この地で、どっこいしょとおろしたと伝説になっています。大館盆地の一面、田圃なかに周りの山々と離れて、ポツンと一つ、あるので、そんな話なったのかもしれません。
 地元の伝承では、ここから、北行し、北海道に渡ったとされています。
2008/03/18(火) 10:20:32 | URL | byshuda (#-) [ 編集]

■ コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

▼この記事へのトラックバック(あれば表示)